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2006年08月29日

ジョンベネ報道氾濫の裏は?

このところテレビのスイッチをひねると、ジョンベネちゃん殺害事件の報道に遭遇する。悲劇のヒロインは、美少女コンテストの常連だったジョンベネ・ラムジー。1996年12月、米コロラド州ボルダーで、当時6歳だったジョンベネちゃんは殺害された。

 容疑者として元小学校教諭のジョン・マーク・カーがタイのバンコクで逮捕されたのがきっかけで報道ラッシュが起きたわけだが、秋田県藤里町で起きた豪憲君殺害事件に対してすら、「連日連夜、微に入り細を穿(うが)って、事件内容や関係者の供述を報道する必要はあるのだろうか」と感じていただけに、今回のジョンベネちゃん事件の報道洪水には疑問を感じる。

 豪憲君殺害事件の重要性を否定するつもりはないし、ジョンベネちゃんの事件などどうでもよいとはいわないが、「それにしてもほかに大事なニュースはないの?」と思ってしまう。

 特にジョンベネちゃんの件は海の彼方の米国の、しかも10年前の事件である。米国のメディアであれば、豪憲君殺害事件のように派手に扱うことも分かる。しかし、なぜ異国の日本で、日本人関係者もいないのに一生懸命報道しなければならないのだろうか。

 そう思ってしまうのは、米メディアのCNNより、日本のテレビ局のほうが、ジョンベネちゃん殺害事件の露出度が高いからだ。判明した事実を淡々と報じるCNNと比較すると、日本のテレビ番組はお祭り騒ぎの様相を呈している。

 海の彼方のことを報道するなら、米国経済の変調を示す個別企業の情報とか、相変わらず爆発的な成長を続ける中国の実相とか、イスラエルとヒズボラの休戦状況とか、イランの核開発問題や英国のテロ対策秘話、ラテンアメリカにおける反米勢力の台頭など、知りたいことが山ほどある。しかし、そういう報道はすずめの涙ほどしかない。

 経済・外交ネタではなく、やっぱりジョンベネちゃん殺害事件を報じたいのであれば、警察が初期に捜査方針を間違えたこと、そして警察情報を検証することなく伝えたことによる報道被害にこそ焦点を当てるべきではないか。当初、ジョンベネちゃん殺害の嫌疑をかけられた両親は、激しい報道攻勢にさらされたため、失職し転居を余儀なくされているのだ。

 無論、報道している側にも何らかの理由はあるに違いない。ただ、もしもその理由の背後に取材能力の劣化という事実があるとすれば、事は深刻である。

 ジャーナリズムの本質は、既存権力に対して人権を守るために『言論の自由』という矛を持って戦うことにあるはず。そして、『言論の自由』という矛は徹底した独自取材の積み重ねによる真実の追究によって、初めてその威力を発揮するものである。

 そんなことは絶対にないと思うが、ジョンベネちゃん殺害事件を番組のメーンに持ってくるセンスの背後に、取材能力が欠如しているために誰かが与えてくれるネタを独自に検証することなく「受けそうだから」という理由だけで選んでいることがあるとすれば、『言論の自由』は人権を守る矛ではなく、既存権力が提供するネタによって人権を傷付ける凶器と化す。

 わが国のテレビの取材能力と良心を信じたい。
posted by ジョンベネちゃんファン at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ●ジョンベネちゃん関連ニュース速報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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